【エッセイ】カーテン:則末泰博
38期生の則末泰博先生のエッセイを掲載します。(2006年執筆)
時々僕の父は比喩の達人だと思うことがある。そんな父が過去にアメリカで仕事をしていた時の事を話していた時に言った言葉である。
「アメリカで彼らの話を聞くのはテレビをカーテン越しに見ているようなものだよ。」
それを聞いたときはあまり意味を深くも考えず、その言葉は頭の片隅にかろうじて漂っているだけであった。ハワイ大学で研修医を始めて7ヶ月が経ったが、今その言葉を心の底からかみしめ、父の表現力の豊かさを感じているところである。
ハワイの人たちは英語を話す。毎日、患者さんと話し、他の研修医の症例発表を聞き、ナースや指導医と話し、そして当直の時は患者さんについての申し送りを受け、と研修医なら当たり前の生活を送っているのであるが、なるほどカーテン越しのテレビである。登場人物たちの輪郭は追えるので大体の流れはつかめる。特に医学英語は語彙数が限られているのでカーテンはかなり薄い方である。しかしこれがパーティーでの会話やその他の日常的なことに関するに事となると毛布のように厚くなる。つい先日他の研修医8人と日本食を食べに行った。日本食を食べているのにやはり言葉は英語である。途中から話しについて行けなくなった。カーテンの向こう側で楽しそうな笑い声がこだましている。悔しいのでひたすら目の前の食べ物に集中していた。もちろん雰囲気に合わせて彼らと一緒に笑い声をたてるのは忘れていなかった。「エビの天ぷらの尻尾はエビフライの尻尾よりは美味しくないな・・・・」等と考えていたときである。突然一人の研修医が僕に話しを振ってきた。
「なーヤス。日本でもそういうことはよく起こるのかい?」
不意打ちとは卑怯である。しかし時すでに遅し。全員きらきら輝く瞳で僕の答えを待っている。心拍数は上がり、自分の耳が熱くなっていくのを感じた。ほんの数秒の間に様々な考えをめぐらし、おそらく被害が最も少ないであろう答えを絞り出した。
「まあ、時々はね・・・・。」
気のせいか全員反応がない。「しまった。間違えたか・・・。そんなことは全く起こらないと答えるべきだったか。いやそれとも実は全然話しについていっていませんでしたと全てを告白して許しを請うべきか・・・」。そのときである。一人の研修医が満足そうな顔で言った。
「ほら、言った通りだろ。日本ならあるんだよ。」
みんなの会話が再び弾み始めた。ほっとするのと同時にまた全員カーテンの向こう側に行ってしまった。寂しさと満腹感でデザートが食べられなかった。このような調子で僕のハワイ研修医生活は進んでいる。日本で何が時々起こる事になってしまったのかは謎のままであるが、僕のカーテンとの格闘はまだまだ続きそうである。