【エッセイ】替え玉の誘惑:則末泰博
38期生の則末泰博先生のエッセイを掲載します。(2007年執筆)
アメリカには研修医を終了した後、専門医になる為の修行期間であるフェローシップというものがある。このフェローシップに潜り込む面接のためにアメリカ中を旅していた時のことである。
ロスアンゼルスの安宿に荷物を置き、疲れた体に鞭打ちながら明日の面接場所を下見するためにレンタカーで大通りをゆっくり走っていた。「新撰組ラーメン」という看板が目に飛び込んできた。塩、こしょう、ケチャップ、マスタードのコンビネーションのみで一生満足できるアメリカ人と違い、いわゆる「うまみ」というものに飢えていた僕は面接のことなど完全に忘れ、急ブレーキ、Uターンそして駐車という一連の動作を無意識のうちに行っていた。この間、周りの車に相当クラクションを鳴らされた気がするが、ラーメンという希望の光を前にしては全く気にならなかった。胸を弾ませながら店の中へ入っていった。
「いらっしゃい!!」と3人の日本人従業員が大きな声で怒鳴り声を上げたのにはいささかたじろいだが、「一人です」と日本語でつぶやきながらカウンター席に座った。まぎれもなく「だし」の良い匂いがする。どうやらそこは日本人経営の豚骨ラーメン屋のようであった。
客は日本人もアメリカ人もいた。先ほどの僕の日本語のつぶやきが聞こえなかったのか僕のことをアメリカ人と勘違いして一人の従業員が英語で注文を聞いてきた。英語で聞かれたので英語で「トンコツラーメンプリーズ」と答えてみた。こうなってしまうと後で自分が日本人だとばれるとお互いとても気まずい気がする。「僕の海外生活もそろそろ板についてきて外人と勘違いされる程にまでなったか」などという小さい満足感も手伝い、「この店を出るまでアメリカ人になりきってみよう」という強固な意志を固めた。
見渡すと本棚に「ゴルゴ13」など魅力的な漫画を多数揃えてある。手を伸ばしそうになったが、ここでぐっとこらえた。同じ定員が戻ってきて英語で麺の固さの好みを聞いてきた。もちろん「ちょいと固め」と言いたい所である。しかしである。一般にアメリカ人は「麺のこし」という概念を全く持っておらず、ぐちゃぐちゃにやわらかい麺を好んで食べる。もしここで「リトルハード」などと玄人的な好みを申し述べようものならたとえ英語でも日本人とばれてしまうのではないか。意に反して「ミディアムプリーズ」と答えざるを得なかった。
ついに待ちに待った豚骨ラーメンの登場である。スープを飲んでみるとさすがに日本人経営だけあって日本でも十分勝負できるほど美味しかった。ここはずずずっと威勢よく麺をたいらげたい所である。しかしである。一般にアメリカ人は日本人のようにずるずると麺をすする高度な技術を身につけておらず、麺を食べる姿を見ただけで日本人かそうでないかの区別がつくのである。気のせいか例の従業員が僕の一口目をじっと観察しているように思えた。仕方なく僕はちゅるちゅるぶちぶちと不器用そうにラーメンをほおばった。麺は少し柔らかめだがとてもうまい。
ほとんど食べ終わった時である。一枚の壁紙が目にとまった。「替え玉(麺お代わり)1ドル」と日本語で書いてある。あろう事か英語では書かれていないのである。なんという差別、日本語が読める人以外は替え玉を食べる権利はないのか。心の中で憤りを感じつつ替え玉の誘惑と戦った。「カエダマプリーズ」はいくらなんでもアメリカ人として不自然ではないか。3分間ほどの悶絶の後、ついに強固だったはずの僕の決意は終焉を迎えた。「すみません、少し硬めで替え玉お願いします」。「はい、替え玉いっちょう、麺かためー!!」。従業員は全く気にしていない様子であった。替え玉も完食し、すっかり満足した僕は面接場所を下見するのも忘れて宿に帰ってしまった。
幸運にも翌日は迷わずに面接場所にたどり着くことができた。しかし「君の長所は?」という質問に対しては、用意していた「意志が強い」という答えを口にするのはさすがにはばかられ、「柔軟性があるところ」と答えた。